Development Organizations

こんにちは、栗です!

書き込むのはこれが初めてなので、発展に関するリサーチ内容の後に私がディベートに関して普段考えていることなども少し綴っていきたいと思います。

今回は、発展途上国の開発を支援する機関を調べてみました!

途上国と一言に言っても、先日の蟻の投稿のように色々な段階があるのですが、「次の段階」に移行するためには自分たちの力だけだと足りないことが多くあります。先進国の投資家も信用してくれないし、どこから資金を得ようか、、、という途上国を支援するのが、IMFやWBなどの機関です。それぞれの働きを少し見ていきましょう。

まずは大前提ですが、「支援」だからといって「募金」ではありません。何十億ドルという規模になる以上、それはほとんどの場合「融資、貸付」という形になります。

THW cancel the third world debt などというモーションはこの辺りに大きく関わってきますが、先進国がどのような責任をどこまで負うかのお話はまた今度にでも。

1. IMF

厳密に言うと、IMFは「融資」をするのではなく、自国通貨が弱くて外貨を買い入れることが困難な発展途上国IMFの準備資産から外貨を買い入れ、将来また自国通貨を買い戻す時に「返済した」と見なされる仕組みです。

現在融資を受けている国は全て発展途上国新興市場国、あとは計画経済から市場経済へと移行している国です。これらの国は、経済状況などの理由で、国際資本市場から外貨を調達することが困難で、対外的な支払いや適切な外貨準備の水準維持が難しくなっています。

世界銀行との大きな違いは、プロジェククトベースでの融資を行っていないことです。マクロ経済、金融機関、あとはそれと関連の深い労働市場などについて支援プログラムを作って実行しますが、用途が細かく定められた融資というわけではないようです。

また、実際に必要な分の外貨に比べたらごく一部しかIMFの支援は占めませんが、IMFの支援を受けている、という事実が対象国の経済が軌道に乗っていることの証左になるため、投資家や国際社会に安心感をもたらし、追加の融資を触媒する働きにもなっています。(逆に言うなら、IMFが拒否したら他のところで投資を得るのは簡単ではない、ということです。)

さて、IMFの大きな問題点として、「本当に途上国のためになる戦略を提示しているのか?」という問いがあります。いわゆる「構造調整(structural adjustment)」の話ですね。上に述べた支援を実行するために、約束として途上国が守らなければならない条件です。

まず前提として、IMFの議決権はどうなっているのでしょうか。WTOは各国一票ながら、全会一致制をとることによって先進国が数の多い発展途上国を抑え込む構図になっていますが、IMF世界銀行の議決権はもっとシビアに、「出資額に応じて」となっています。現状ではアメリカが18%ほどの議決権を担っており、他の追随を許しません。そのためIMFのconditionalityを、アメリカへの隷属だとして批判する人もいます。

さて、構造調整の中身として主に挙げられるのが、緊縮財政と自由化です。IMFはこれらのフリードマン新自由主義的な政策を推し進めてきており、それによって各国の経済に時として破壊的な結果をもたらしました。(2005年にIMF自身、この理論に問題があったことを認めています。)

新自由主義の問題点として、国内の産業が壊滅することが挙げられます。映画「ジャマイカ楽園の真実」に描かれているようなので一度見てみたいのですが、主に米国の安い商品を国内で流通させたようです。結果として、債務に金を吸い取られるだけになって公共サービスなどの質が劇的に悪化したと。

失敗とされている例としては、1997年のアジア通貨危機があります。タイのバーツが急落したことに端を発する、東南アジアを中心とした経済危機ですが、この時タイ、韓国、インドネシアIMFの支援を要請してconditionalityとして提示された政策を実施した結果、快方に向かうどころかむしろ状況が悪化し、マレーシアなど支援を断った国々は、被害は受けたものの傷が広がることはなかった、といった事例です。

タイでは財政緊縮(政府支出の削減、利子率の上昇)が、景気後退期においてさらなる総需要の減少を招きました。企業はリストラを余儀なくされ、失業者が街に溢れかえる状況に。

韓国も、景気がV字回復したという裏には、外資を受け入れてその傘下に入ることで富を得るものと、解雇をしやすくする労働市場改革の犠牲となって倒産、失業へと追いやられるものとの間の格差が決定的になりました。

その他アフリカなどの国々も多くがこの構造調整によって苦しめられていますが、支援をしてくれる機関がIMF, WBくらいしかないので従う以外方法がない、という状況になっているようです。

2. World Bank

世界銀行には2つの貸付のタイプがあります。

1つ目はIBRD(International Bank for Reconstruction and Development)です。 比較的高所得の発展途上国を対象としたもので、市場金利に近い金利で返済でき、また商業銀行からもお金を借りることができる国のため。商業銀行で借りる時よりも返済期間が長く、また支払い猶予機関もあります。貧困削減、社会サービスの向上、環境保全、経済成長などの特定の事業に対する支援を行います。IBRDは AAAランクの信用格付で、世界の金融市場でその債券を売却することで資金調達を行います。

2つ目はIDA(国際開発協会)が最貧国に対して行うもので、これらの国は国際金融市場では信用されず、また市場金利で返済できません。そのためこれらの国に無償資金や信用(無利子の貸し出し)を供与することで、貧困の解消、生活水準の向上を図ります。

また、世界銀行の貸付の対象は政府だけですが、実際にはNGO、民間企業などの地域社会と緊密な連携をとるように政府に奨励しており、支援されるプロジェクトのおよそ半分は現地のNGOが協力しています。

そして、民間の開発が早急にできるような部門への貸付を積極的に行っています。(金融、電気、ガス、工業など)。世界銀行は民間を直接支援することは禁止されていますが、姉妹機関であるIFCは、ハイリスクの部門や国を支援し、民間への投資を拡充させるために存在しています。ちなみにもう1つの姉妹機関MIGAは、発展途上国に投資や貸付を行う人々に政治的リスクに対する保険を提供しています。

世界銀行の支援は金の貸付だけにとどまらず、技術支援が伴います。総合的な国家予算はもちろん、農村への診療所の設置、道路の建設などにどのような設備が必要かについても助言を与え、その専門家育成プロジェクトも支援しています。

3. Micro finance organizations

マイクロファイナンスは、「理念は素晴らしいけど実情が徐々に乖離してきている」印象。

これは国家やプロジェクトベースではなく、個人単位の融資です。一般の銀行は利潤追求が主な課題なので、基本的に裕福で返済能力が担保された人にしか貸付を行いません。結果として、貧しい人々、事業(と言っても、ビジネス!というよりは農業、個人商店みたいなレベル。牛を買いたい、的な。)を始めたくても資金調達に困っている人々、特に銀行を利用することができない女性たちは、法外な金利を貪る高利貸しを頼るしかなくなっている状況でした。

ここに現れたのが、自身の利潤追求に加えて貧困の削減を念頭に置き、主に女性に融資を行うMicro finance organizationsです。一番権威があり有名なのは、バングラデシュグラミン銀行。銀行員が毎週集会を開いて、資金繰りの方法を個別に相談。借りてをフルサポートして、生活の水準も上がり、借り手としての信頼性も増していく。返済率はなんと98%!!

さて、一見素晴らしく見えるマイクロファイナンスですが、問題点があることも事実です。まずはその資金。90年代に爆発的に増加した機関は、公的資金だけでは自分たちの資金を賄えなくなり、資本市場でファンドを得なければならなくなりました。欧米諸国の投資家たちが、この事業に持続可能性や収益性を見出し、「旨味のある事業」として投資しているのですが、その結果として利潤追求のインセンティブが大幅に強化されることになりました。そのため、実際の内容は高利貸しと全く変わらないような機関が出てきています。

例えばインドでは、マイクロファイナンス事業が盛んな州において、2010年の3月から11月までに、マイクロファイナンスでの借金などを苦にして70人余りが自殺しました。

今後の課題としては、金利や融資条件の透明性の担保、顧客のケア能力の増大などが挙げられます。貧しい人々にとってのほぼ唯一の救いの手であることには変わりがないのです。

さて、ここまでがdevelopment organizationsについての基本的な情報です。他にもNGOなど沢山あるのですが、その活動は非常に多岐に渡ります!

ここからは雑談!

僕が普段ディベートをどのように捉えているかについて、徒然なるままに少し書いていきたいと思います。

ディベートの楽しみって本当に人それぞれで、正解も不正解もないと思うんです。パートナーの蟻は知識が得られるのが大きな楽しみだと今朝語っていましたし、普通に勝ちてえって人も多くいるはずです。

ディベートしてマイノリティの権利語ってる、女性の権利語ってる奴が現実世界でそれと逆の言動をしてるとヘドが出る」みたいに言う人をよく見かけますが、まあもちろんそれはそうって感じであると同時に、ある程度仕方ないのかなとも思います。ディベートの楽しみも捉え方もそれぞれだし、何もディベーターだからといってそれ以外のすべての側面でディベーター然として振る舞わなければならないとは思いません。

じゃあお前はどう捉えているんだ、何が楽しくてやっているんだ、という質問なのですが、おそらく私は英語でのパブリックスピーチが好きなのです。日本語ではあまりできないけど。

自分で話した言葉によって誰かのアタマやココロを動かせる、という行為自体への憧れだと思います。だからyoutubeで見る動画は、ディベートの音源というよりも歴史上の有名なスピーチが多いし、普段のスピーチでもわかりやすさとマナーにはいつも気を配っているのだと思います。Martin Luther King Jr.も、チャップリンのThe Great Dictatorのスピーチも、エマワトソンのHe For Sheも、ああいう風にスピーチしてみたいなーって思いながら見ています。

ESSのアカデミックディベートセクションかスピーチセクションかに移るとすれば絶対に後者を選びますし、そこそこうまくやっていけるとも思います。ただ、大学生スピーチコンテストの動画を見てもイマイチ響かないのは、「教育が大事!」とか「留学生に優しくして!」とか言われても、うんそれはそう。って思って終わってしまうから。それに対してディベートは、相手がいる。それはそう。ってことだけでなく、controversialでcontentiousな所にダイレクトに説得を試みるその姿に憧れているんだろうなと思います。

しかし、きれいに響くだけでは不十分で、信じさせるためにはそれを裏打ちする知識そして中身が必要です。(ここが今の僕の病で、闘病を試みているところなのです)

周りの人たちの知恵や支えも大いに借りながら、いつか人を動かせるスピーチができるようになれたらイイな、と思うところです。

今後もよろしくお願いします!ブログはまだまだ続きますよーーー!!