Medical Ethics

お久しぶりになってしまいました。栗です。


今回JPDUから頼まれて、ジェミニ後の2年生向けにmedical ethicsについてまとめました!


めーちゃ長いですが、ここでも共有しておきます!


以下コピペ


Medical Ethics     

東京大学3年 栗原悠太朗

皆さんこんにちは!UTDS 3年の栗原悠太朗です。

今回、Gemini Cupを終えたばかりの2年生を主な対象としたMedical Ethicsについての寄稿文を担当させていただくことになりました。微力ながら、何かの糧になれば嬉しいです目安とされた分量よりだいぶ長いですが(倍くらいですごめんなさい)、内容としては非常に読みやすいものになっていると思います。飛ばし読みしながら、大事だと思うところだけ拾ってください。パソコンで読むのをお勧めします。

 

さて、「医療倫理」という言葉を聞いたときにどういう話が想像されるかはこれまで皆さんがあたってきたモーションたちに左右されると思いますが、現実において「これこそが倫理である」という単一の答えはありません。もちろん医師が従わなければならない原理原則はあります。しかし現実の安楽死の問題などを見て分かる通り、議論は一筋縄ではいかないものです。それはなぜかというと、原理原則の要素同士が互いにぶつかり合うからなのです。例えば先ほどの安楽死の問題では、単純に言えば「患者の意志を尊重しよう」という原則と「医者は患者に危害を加えてはならない」という原則が二律背反として存在していますね。

 

なので大事なのそれぞれの原則がどういう理論的背景を持っているのかを理解することがまず1つ。しかし、それだけではなぜその原理の方を重視すべきなのか決着がつきません。そこで2つ目が、実際の医療の現場がどのような状況になっているかをいつも想像することです。なぜこの状況においてはこっちの方が大事なのか?ということ。これは単に知識というだけの話ではなく、「患者はこのような状況になったらどういう心境になるか?家族はどうか?彼らにとって医者とはどのような存在か?当の医者はどのような人間なのか?」などを必ず考えることを意味します。もちろんいつもやっているお得意の「キャラクタライゼーション」ということなのですが、「末期患者だからirrational」とかはちょっと単純すぎやしないか、と思います。

 

前置きはこのくらいにして、実際の内容に入っていきましょう。部構成となっています。

1. Theoretical aspects of each principle
2. 個人的に興味がある、または知っておくといいかもという事例

 

関連するモーションは適宜青い文字で挿入していくことにします。説明だけだと退屈だと思うので、実際のモーションに当てはめながら考えてみてください。

 

1. Theoretical aspects of medical principles

医療倫理には大きく分けて4つの原理原則があります。 

● Respect for autonomy

患者自身の、患者の健康に関する決定を尊重することです。ただしひとつ条件があって、患者自身がその決定を行う能力を備えていることです。

患者は治療法を選択する権利があり、またどのような理由によっても、途中で治療を中止することが可能です。

この背景には、単一の客観的な指標の欠如があります。「健康観」は人それぞれなのです。

また、医師と患者の間のある種のpaternalisminformation asymmetry がある以上、医師がこの原理原則を持って積極的に患者を尊重しない限り、患者の本当の意思は無視されてしまいます。

● Non-maleficence

危害を加えるな」ということ。まあ当たり前です。

ただ難しいのは、何を「危害」と思うかについて医師側と患者側の論理が違う状況があるということです。

 

Autonomy vs Non-maleficence

THW allow active euthanasia

THW allow terminally ill patients to take medicines that haven’t completed clinical testing

THW make abortion mandatory in cases of severe medical conditions that lead to short and painful lives

 

● Beneficence

上のNon-maleficenceと似たようなコンセプトで、実際多くの場合2つはオーバーラップしますが、「患者のためになることを最大限やる」ことです。

● Justice

これはmedical practicesというよりはresource allocationに関する話にもなり得ますが、「すべての患者を公平に扱え。特定の人を差別してはならない」ということ。これは実際のコンテクストでは、個人の医者の決断というよりは法律レベルや病院の方針によって決定されることが多いです。

 

Justiceprincipleがどれだけ医師を規定するか

THW allow doctors to refuse treating patients based on their personal belief (e.g. religion)

THBT medical NGOs should not treat public enemies (e.g. terrorists)

THBT medical professionals in military should refuse to treat tortured patients

When a doctor is faced with mutually exclusive options of saving your lover and saving a complete stranger, who are both in a critical condition, THBT it is morally blameworthy if the doctor chooses to save the former

 

 

 

 

 

 さて、これら4大原則に付随した上で、実際のディベートや医療の現場において出てくるもう少し細かい概念について話していこうと思います。

 

◇ Informed Consent, IC

これはよく聞く単語だと思います。医者が患者に対して負う説明義務、もうすこしいえば「患者がそれを理解し、明確に同意した上での治療」をする義務です。

なぜこのコンセプトが大事なのでしょうか。

1つには、知らなかった時の副作用などがあります。薬の副作用で死に至った後で、「すみませんご臨終です。あれ、言ってなかったっけ?」では済まされません。

 

2つ目は、もうすこし「プリンシプル」チックに、患者の自己決定を尊重しなければならないからです。治療法の中にも色々な選択肢があり(がん治療における抗がん剤の選択など)、また治療をしないという選択肢もある中、1つの治療にどのような効果や副作用が含まれているのか、そして他にどのような治療があるのかを知らないまま治療に向かうことは、患者の病気に対する向き合い方、未来に関する意思決定能力を著しく阻害することになります。

 

3つ目、これはおそらく1年生などにとって少しadvancedな話なのですが、そもそも医療行為自体が侵襲的であるから、というのも挙げられます。

 

侵襲(Invasion)、侵襲的(Invasive)

生体を傷つけて、何かしらの変化を起こすこと。恒常性を乱すこと。

医療行為としての侵襲は、外科手術による切開、切断、薬剤の投与などが挙げられる。(Wikipediaより)

 

個人の体を切り刻む、あるいはそれまでなかった物質を注入する。これらの行為は「普通は」許されていませんし、一般人がやれば傷害罪です。ほぼ唯一認められている例外が、「医師による医療行為であること」なのです。そして患者が医師の医療行為に同意したからこそ、初めて医療行為としてこれらのことができるのです。仮に「医師」という肩書きを持った人だとしても、嫌だと言っている人に対して無理やりメスを入れて身体を侵襲し傷つけることは許されません。

 

これらが、ICが重要な理由です。アメリカなどでは、医師がこのICを本当に患者が理解できうる

形でやったか、患者が理解したことを明確に確認したか、などのチェックが日本よりもとても厳しく、特に医療訴訟などの時に争点になりやすいところです。

 

Informed consent

THBT doctors should always tell patients the true condition of their illness

THW allow doctors to actively lie to patients aiming for placebo effect

 

 

 

◇ (ICに付随して) Capacity 

さて、4大原則の1つ目のところで少し触れたのですが、ICや意思決定の前提として、個人がそれを決定する能力がある、というものがあります。

Capabilityとは、自身の病状やICで与えられた情報を正しく受け止め、保持し、理解し、咀嚼した上で自身のinterestに沿った決断を下し、それを他者(医師、家族など)に適切に発信できる状態をいいます。ほとんどの人はこのcapacityを持っているという前提で治療が進んでいきますが、これが前提にできない幾つかのケースがあります。

 

1つ目は、緊急の場合など。患者が頭を打って昏睡状態にある時や、一刻を争う事態である時は、このcapacityがあるものとassumeした上で、多くの人々はこういう治療を望むであろうという最大公約数的な治療を行います。過去の意思決定があればそれに従います。救急隊員による延命処置などはこの最たる例ですね。

まあディベートのトピックとして問題になることはあまりありません。

 

2つ目は、mental handicap などの場合。

精神疾患のある患者などは、程度にも勿論よりますが、このcapacityを欠くとみなされることが多いです。

この場合、患者の親族や友人、それが見つからない場合はソーシャルワーカーなどによって意思決定がなされます。また、患者が判断能力のあった時期になされた意思決定があればそれに従います。

大事なことは、「患者自身がcapacityを欠くからといって、医師の説明責任が消え、自分の思う治療を勝手にやっていいということではない」ということです。

 

3つ目は、未成年です。voting rightが与えられないのと同じ論理です。情報を理解し、自分のinterestをしっかり伝えることができないだろうという。

この場合も家族がその判断を担うことになります。

 

さて、ではなぜ代わりの意思決定者が医師でなく家族なのでしょうか。

勿論治療とその効果をよくわかっているのは医師なのですが、それを理由に医師が決定権を持つのであればそもそも患者の判断能力など関係ありませんよね。みんな医師の知識にはおそらく及びません。

これが大事な理由は、治療の選択、また治療をするかしないかの選択が客観的なものでなく、倫理観や価値観に基づいた主観的なものだからです。

「そもそも西洋医学を信じるか?」

「苦痛の延命と安らかな死、どちらを選ぶか?」

「宗教的な倫理観と身体の健康、どちらを取るか?(輸血を拒否するエホバの証人)」

「理想の自己像と身体の健康では?(女優なのにお腹から人工肛門をぶら下げて歩くくらいなら少しくらいリスクがあったって平気!)」

 

これらの問いはすべて、医師が勝手に決定してその価値観を押し付けていい類のものではありません。医師はあくまでBeneficence、つまり患者のinterestに沿ってその最大限を達成するために尽くす人間でしかないのですから。

だから患者自身が判断能力に欠けているときは、患者の倫理観や価値観を一番理解しているであろう家族、あるいは近しい友人たちが選ばれるのです。勿論、特に宗教などの文脈で、親が果たして子供の意思を尊重できているのだろうかと疑問に思う時もあります(だからモーションになるのです)。しかし一般的に言うなら、上記のような考えのもとに成り立っています。少なくとも医師よりは家族の方が適切であろう、という。

 

 

Minorsの意思決定

THBT important medical decisions for children should be made by doctors instead of parents

THW allow minors to take gender reassignment surgeries regardless of parental consent

THW ban parents from forcibly sending their mentally ill children to hospital and therapies

 

 

◇ Confidentiality、秘匿義務

これは4大原則の3つめ、Non-maleficenceに大きく根ざしていると言えます。

簡単に言うと、患者の個人情報(病名、治療法、その成果など)を必要な関係者以外に漏らすなということです。私が先日研修プログラムで病院を訪れた時にも、患者の情報の書かれた紙は最終日に回収され、シュレッダーにかけられました。

簡単に言えば「プライバシーだから」なのですが、もう少し深く考えてみます。

 

あなたが精神疾患を患っている、もしくは患っていたとしましょう。残念ながら今の社会において、精神疾患患者に対しての風当たりは強いままです。もしそれが関係のない第三者にバレてしまったらどうなるか?社会的な嫌悪、就職面接での不利益、そういうものが一気に降りかかってくることになります。

また、AIDSなどに関しても同様です。コンドームの適切な着用によって感染は予防できますし、キスだけで移ることもありえません。しかし現状の社会では、このような正しい理解がないがために行き過ぎたstigmaにさらされます。あなたがSTDを持っていることが第三者にバレて、その情報が何らかの形で公になってしまった時を想像してみてください。きちんとした予防措置いかんに関わらず、他人と性交渉を持つことすら許されないという状況になりかねません。

このような行き過ぎた不利益を防ぐために、confidentialityの原則があります。

 

もう1つの理由として、単純に知られたくないよねというのも大きいです。「プライバシー」の概念に近いのはこちらの方かもしれません。自分が病気であることを人に向かって言いたくない人も多いですよね。ガンなどはもちろん、水虫とかでも嫌です。それは単に不利益を被るからではなく、病気について回る「弱い」とか「辛い」のイメージを自分に当てはめたくないからというのも大きな理由です。

 

そして最後に、医療そのものに対する信頼もあります。バラされるとわかっていたら足が遠のきますよね。結局治療自体に来なくなってしまうので、ひどい結果になります。

 

 

さて、このconfidentialityも絶対ではありません。例外的なケースを見ていきましょう。

1. 三者に明らかかつ緊急、深刻なリスクがある時

過労による鬱で精神科を受診している患者が、「あの上司殺す。もう銃も買った」と言っている時など。

    

2. 国の機関に報告し、対策を取る必要がある時

エボラ出血熱が日本で見つかった時などは、感染経路などの情報が必要なので患者の渡航歴などを保健所等に報告します。インフルエンザ、はしかなども。

 

また、明らかな銃創、重大な暴力の場合などにも報告義務があります。(この時は警察)

ただし、子供とvulnerable adults(mentally handicapped, elderly)などの時だけです。成人が配偶者から受ける暴力などの場合、拒否されたら報告できません。

 

3. 未成年の病気に関して親が決定権を持つ場合

ただし、pregnancy, STDなどについては、confidentialityが保護されます。

 

Confidentiality 

THW force doctors to report suspected cases of DV

THBT when doctors find patients with HIV, they should reveal that info to the patients’ partners

   

 

 

◇ Resource allocation

上記の原理原則からはある種独立した、非常に難しい問題です。残念ながらこれといった答えも、ユニバーサルに通底している原理もあまりありません。ここでは幾つか、allocation principleをあげて説明するにとどめます。

1. Sickest first

一番症状が重い人から順に配分していくやり方です。

2. Waiting list

先着順。

3. Prognosis

予後の予測に基づいて、一番予後が良さそうな人に分配する方法。

4. Behavior

よくモーションになるやつです。Riskyこと(生活習慣など)をしていた人は優先しないですよという考え方。

5. Instrumental value

例えば非常時などにおいて、医療従事者には優先的に配分するという方法。その人たちが助かった後、社会的な効用が高く他の人の生命に貢献できるから。

6. Reciprocity

その人が今まで社会に対して行ってきた貢献度合いによって決めるというもの。

7. Youngest first

若い人、つまり助かった後の時間が長い人に分配するというやり方。

8. Lottery

くじ引き。

9. Monetary contribution

市場経済に任せます。要するにオークション。金を出したもん勝ち。

 

Resource allocation

THW deny scarce medical resources to terminally ill patients

THW deprioritize patients with unhealthy lifestyles(e.g. smoking, obesity) when distributing scarce medical resources

 

 

 

2. 知っておくといいかという事例

 

正直なところをいうと、過去の世界での判例などはよく知りません。

ディベートのアナロジー的に重要な事例に関しては、Medical Ethics関連で検索してみてください。

 

ここでは、実際の医療のコンテクストに基づいて幾つか興味のある事例を話そうと思います。

Debate landに閉じ込められたアーギュメントを、現実のコンテクストに返す作業ですね。

 

◇ Clinical Testing

これはmedicineというよりはpharmaceuticalsの話かもしれませんが、ここでしておきます。

 

Clinical testingは、基礎研究動物実験の後に、実際に患者に投与してみて安全性や有効性を確かめる過程です。

Clinical testingが終わっていない薬はメッッチャ危ない!」みたいな話をよく聞きますが、実際のところそうでもなかったりします。

 

この臨床試験は大きく分けて2つの項目をチェックするのです。先ほども言った安全性、そして有効性。(適正用量もありますが割愛)

 

安全性とはつまり副作用の有無です。試験管の中、あるいは動物だけでは完全に副作用が予測できないからですね。これにかかる期間は意外と短いです。ほとんどの副作用(腎不全とか肝機能障害とか)って基本的に数時間、数日、長くても数ヶ月の単位で出てくるので。あと、この薬が「危険」であることを示すための症例の母数はそこまで多く必要ではありません。(詳しい話は統計学になってしまうので割愛)

なので基本的に、今臨床試験の最中にある多くの薬が、次の有効性の試験の途中ということになります。

 

そして2つ目が有効性。これが厄介なのです。効果がきちんと現れるまでには数カ月から数年を要し、また「この薬のおかげで」よくなったと統計的に有意な形で示すためには相当な患者数が必要になります。結果的にほとんどの薬がこの段階に手こずることになります。早くても3年、長いときは10年近く

 

特に遺伝子治療や免疫療法など、様々な新しい治療に関する研究成果が一気に実ってきた最近では、この長い試験をもどかしく感じる人も多いかもしれませんね。

(自閉症autismresponsible genesが同定され、それを遺伝子的にノックアウトしたマウスが自閉症の典型症状を見せなくなった、というニュースが最近ありました。研究の世界は日進月歩です。特に遺伝子の編集技術。)

 

ということなので、臨床試験に関係したモーションの時には、「そもそもどういうシステムなのか」を考えるのも一手です。

 

◇ Placebo Effect 偽薬(プラセーボ)効果。

 

「病は気から」という言葉をご存知でしょうか?

実際の臨床の現場でも、患者の心の持ちようが治療効果に大きく影響することが知られています。治療に積極的になるというレベルではなく、本当に「思い込み」で痛みなどが軽減されるのです。

 

医者が患者に「これは素晴らしく良く効く薬です」といって砂糖の塊を渡し、薬だと思い込んで飲んだ患者が実際に症状の改善を見せる、などのイメージでしょう。

 

1つ言っておきますが、肺炎とか糖尿病とか、実際にからだのどこかに今すぐ治さなければならない病変がある時にはこんな方法は取りません。普通に薬を渡します。

これが問題になるのは精神的なものが原因の症状や、取り除くことができない慢性痛の場合などです。

どのようなケースで用いられるのでしょうか。

 

1つ目は、実際に薬を渡すことで別の問題を生じうる時。

不眠を訴える患者が来たとします。原因はおそらくストレス性のもの。しかし話を聞いていると、職場でのいじめによって鬱のような症状もみられる。

この時、不眠という症状はすぐに改善しなければなりませんが、いきなり睡眠薬を渡すと、もし鬱だった時に薬をOverdose(過剰服用)して危険な状態になるかもしれません。

そこでプラセーボ効果を狙って砂糖の塊を渡し、同時に精神科への受診を勧めるのです。

 

2つ目は、他に方法がない場合。

慢性的なヘルニアやガンによって神経が傷つけられた時などは、使える薬は限られていますし、それらを使ったところで到底根治には至りません。

そこで、患者に「今さっきシップの代わりに処方した塗り薬、他の患者さんも痛みがマシになったと言っておられて好評でしたよ」と言い含めておきます。(ウソ。本当は効果は変わらない)

しかしこれを聞いた患者は、痛みが軽減されるいい薬だと考えて現実に痛みをマシに感じることが多いのです。

(実際、病院見学に行った際に東大病院の先生がやっておられました)

 

こういうのが、現実的なプラセーボ効果の例です。必ずしも効果のある薬の代わりに効果ゼロの薬を処方するだけではないのです。

「ウソ」が少し守りやすくなった気がしませんか?

 

 

◇ Terminally ill patientsmentality

さて、ディベートで末期患者というとすぐにdesperate,irrationalなどという分析が飛んできます。

もちろんそういう人も多いのですが、ここでは少し末期患者がどういうmental statusにあるのか見てみましょう。

 

病気の告知から、だいたい4つほどの過程を辿ります。拒絶、憤怒、抑うつ、受容です。

始めの3つはdesperate, irrationalで良さそうですが、末期患者がみんなそうというわけではありません。

中には自分が死ぬという運命を受け入れ、その上で自分がどう死ぬかを自分で決めたい、という考えの人もいます。

 

尊厳死の選択やホスピスへの転院などはその最たる例ですね。

また、THW allow terminally ill patients to take medicines that haven’t completed clinical testing

などのモーションにおいてこの治療薬を望むのは、第一の拒絶、抵抗の段階にある患者だけではなく、自分が死ぬことを理解し受容した上で、それでも最後までやれることはすべてやっていたい、最後まで戦ってこの世を去っていきたい、病気に対してただ何もせずに死を待つ弱い人間として自分を定義したくないしそんな目で見て欲しくない、という考えの患者も含まれているということです。

個人的には後者のキャラクターを話すのも好きです。

 

まとめると、「末期患者と言っても色々ですよ」ということです。画一的に考えるとディベート的にも広がりませんし、何より実際の患者さんたちと乖離したoffensiveな議論にもなりかねません。

 

 

◇ Triage トリアージ

災害時などにおいて、限りある医療資源をどのように分配するかの話。

症状の重さについて色分けしたリストバンドをつけて、治療の順番を決めるものです。

軽症は緑、重症は黄色、一刻を争う患者は赤、すでに死んだあるいは明らかに処置しても助からない患者は黒のリストバンドを巻いて区別し、赤、黄、緑の順に治療するというもの。黒の人は治療しません。

 

たまにディベートのアナロジーで出てくるのですが(特にresource allocationの話において)、どういう抽象化ができるか考えてみます。

 

1. 限りある資源は、公平性よりもそれを最も必要とする人のところに届けられるべき。Vulnerableな人は優先して保護されるべき。
2. それをやったところで意味のない、どうせ死んでしまう患者は見捨てても構わない。それよりは、治療の効果が大いに期待できるかつ深刻な病状の人の治療に尽力した方が効率的な医療行為である。

 

くらいでしょうか。後者はTHW deny scarce medical resources to terminally ill patientsとかで使えそうですね。

 

 

これまたディベートでよく出てくる人々です。

敬虔なクリスチャンで、「輸血は神の教えに背く行為だ」と信じています。聖書の一節からそのような解釈をしているらしいです。

医師や病院にとって少し厄介なのは、「手術中に死ぬとしても輸血は嫌です」という考えの方が少なからずいることです。

 

日本の裁判所は前例として、患者が死に代えてでも輸血を拒否していた手術で同意なく輸血をした医師に対して、自己決定権の侵害として賠償命令を出しています。

このことにより、エホバの信者たちを取り巻く医療環境は大いに変わりました。

 

というのも、そもそも医師が治療をしなくなったのです。

現在医師が取りうる選択肢は、

命が危ない状況になったら輸血をする旨を話して、患者が拒否したら治療自体を拒否して別の病院へ送る

無輸血手術を敢行する

の2択です。

 

ここで1つ、現実的な病院や医師のcharacterizationを出しておくのですが、彼らが最も嫌うのは患者が手術台の上で死ぬことです。術後の合併症とかならまだ仕方のない側面もありますが、手術前は普通に話していた患者が戻ってきたら死んでいた、となるとその責任は一気に医師に向かいますよね。

もちろんエホバの場合は無輸血に同意しているわけなので、術中死されても医師に法的責任がかかることはおそらくありません。

しかし病院の評判、周りの医師からの目、患者の目などを気にして、そういうリスキーな手術をするくらいだったらどこかの勇敢な医師に任せるかーとなりがちなのが現実です。

 

もちろん簡単な手術は引き受ける医師も多いのですが、もしかすると輸血が必要になるかもという瀬戸際の判断は弱腰になりがちです。

結果としてそれらの患者は病院をたらい回しにされ、本来であれば輸血なしでもできたかもしれない手術が病気の進行によって困難になって結局死を迎えてしまう、という事例があるようです。

 

確か、「医師とマイノリティの交渉においてマイノリティにより強い権限を与える」みたいなモーションがどっかの大会で最近あった気がしますが、こういうケースを話せればそこそこマシな気がします。

 

 

以上が、現実での事例をいくつかピックアップしたものになります。活かせるモーションがあったら是非喋ってみてください!

 

 

さて、長くなってしまいました。目安4000字で9000字書いてしまいました。すみません。

 

医療モーションはそんなに種類は多くありません。

現実に根ざしたrealisticなケースを作ること、そしてプリンシプルには理論的背景があるのを忘れないこと。

この2つを意識すれば、そこそこのスピーチはできる、、、はず!

最後までありがとうございました。これからも頑張ってください!

2018.6.29 栗原悠太朗